Flower pattern project

ー手紙 lettersー

ユニクロの登場におどろいた。色のバリエーションが多くある。まず価格が安い。価格が安いので衝動買いをしてしまう。次から次へと買ってしまう。気がつけば全身ユニクロの衣類になっていた。ユニクロはながつづきはしないだろうと思っていたが、意外にもそうではなかった。日本国内はもとより、海外進出もはたした。株価も安定している。今後のユニクロの展開が楽しみです。

22歳の11月、祖母の着物を着た。その着物は祖母が同じく22だった頃、嫁入り前のあいさつに着たものだという。それから数十年経ち、孫である私が着たという事実に歴史や、感慨深さを感じたが、今の私は子供であることを痛感した瞬間でもあった。

ダメージ・・・?ジーンズ・・・  私は小学生の頃、服にとんでもなく興味がなかった。それでも、1つだけ「かっこいい。」「着てみたい。」と思ったものがある。「ダメージジーンズ」である。しかし、兄のお古か、母のお古か、誰かのお下がりをもらったものしか持っていなかった私は、「身内にそんなだらしない人いない」と思いダメージジーンズをあきらめた。  そんな時、兄が昔着ていたと思われるデニムを見つけた。私はそれを許可なく自分の部屋へ持っていった。親がリビングで寝ているのを確認し、ハサミを持ち、デニムを見つめ、つばを飲み込んだ。だが自分がものすごいチキンだったことを、私は知らなかった。「ダメージしたい・・・ボロボロのヒザにしたい・・・」「でも母親にバレたら、せっかくのジーンズになんてことしてんの!!」と言われてしまいそうで・・・。だが思い切った!!あの私が!!!!! やったあとを見てみると、着れていたのはわずか3mm。ものすごくダサくなってしまって、余計なことしなきゃよかったと後悔した話。

小学校高学年になってジーンズ(ジーパン)をはく友達が増えてきた。なかなかはく勇気がなかったが、だいぶたって、ようやく買ってもらってはいたが・・・ 友達のようにかっこよくなかった。 ジーンズがまだめずらしく感じられてた時代でした。 45年前。             2015.11.14

あの日私は彼の実家に行くことになっていた。いや、前から決まっていたのではない。ついさっき。あれ、私、今、何着てる?足下からブラウンのハイヒールぴたっとしたジーンズそしてまっくろなタンクトップ。まっくろなタンクトップこれは私だけの思い出がある。まずこのまっくろなタンクトップの形を言い表すと普通のタンクトップに首からたらんと布がたれているデザインだった。首のうしろでヒモでむすぶのがかわいくっておきにいりだった。あの日まで”何その服!キンタローみたい!”今でもよく覚えている 当時付き合っていた人のお父さんにそう言われたのだった。私はその日以降一度もそのタンクトップを着ていなかった。そしてなぜだか何年ぶりにタンスから見つけ着てみたのだった。偶然にもまた彼の(人は変わったが)家におじゃまする時にこのタンクトップを着ているだなんて。私はとても不思議だった。そして新しい出来事が。彼がかわいらしいワンピースを買ってくれたのだった。もちろんうれしかったが、この人とは服の好みが合わないかも。と。 私の頭には黒いインクがおちた気がした。

祖父から国鉄の制服をもらった。本人からではなく、本人は亡くなった後にだ。 国鉄にかぎらず制服は他の服と違って「所有」できるものではない。 他人の服を制服といえどもらったときに、私は何を「所有」しているのだろうかと自問した。

私は小さい時、リボンのついたピンクのフリフリのワンピースが大好きで、いつも着てました。あと、白地にくまのかおのもようがちらばっているタオルケットをいつも肌身離さず持っていました。それはしろちゃんといい、角に布がついていて、フードみたいにかぶれるようになっています。たぶん6歳くらいまでは持ってたかなぁ。お母さんに「そろそろしろちゃんとバイバイしようか。」といわれ、あんなに大事に持ってたけど、お母さんの一言で簡単にうんといった記憶があります。お母さんも「もっとしぶるかと思ったからびっくりした」と言っていました。その話をしたのも5年以上前ですが。そういうかわいい服が好きだったはずなのに、今では暗い色の服とかスキニーTシャツとか、すごくシンプルな格好しかしません。身の程を知ったというか、スタイルもよくないしかわいい服とか着たいとも思わなくなりました。

今でも大切にしている干し草色のシャツ。20年程前の秋の夕暮れ。筑波山の中腹の好きなビューポイント。とても澄んだ空気の日に、遠くに富士山が見えている。夕陽が差し込み、周りの風景も私自身も真っ赤に染まっている。きれいだなぁ〜 眺めに心を奪われていると、大きな影が私の視線を突っ切って来る。 その時、着ていたシャツに留まったのは赤トンボ。こんな事もあるんだ!と嬉しく見た。 ところが・・・見ている間に次から次へと赤トンボが飛んで来て、私の肩から胸からお腹から、赤トンボだらけ。びっくりして見ていると、全てのトンボと合う目線。いい加減暗くなる迄、最初で最後の体験を味わった、大切な記憶です。

しつけの厳しかった母は、およそ自分の娘(2人姉妹です)を飾り立てようという気持ちはなかったのでは・・・(苦笑)10歳前後の私は、うっかりすると2つ年上の従兄弟の服を着せられていました。男物のお古が、私の女の子達の間に混じるのは恥ずかしかったのですが、ある時クラスの女の子・・・お母様がピアノの先生で、本人もピアノの上手な大人びた子でした・・・が、「誘拐犯が狙うとしたら○○ちゃん(私の名前)だね。お金持ちのお嬢さんに見えるもの」と言ったのです。私ってどう見えていたの??!  結婚後の一時期、私をかわいがってくれていた叔母が毎年毎年山ほどお下がりをくれたので、もったいなくて少し(時にかなり)サイズの大きい、・・・ちょっと好みと違う服を着続けていました。  子供の手が離れ仕事を再開して、自分をどう見せるか考えて服を選ぶようになりました。ほんのここ7年くらいのことです。